我が家へようこそ
不妊治療の末に8年前誕生した待望の娘は、知的障害という個性を持って生まれてきてくれました。帝王切開で元気に生まれてきてくれた時の感動を、昨日のことのように覚えています。その日から我が家は3人の「チーム」になりました。
そのかわいさで、娘が起きているときも寝ているときも、その一挙手一投足が我々夫婦を虜にしていました。子どもを持つことができた喜びを噛みしめながら、保育園に預けている昼間も度々思い出しては、夕方また会えることを励みにしていました。
もしかして娘は発達が遅いのかな?と認識し始めたのは、年少の頃です。おしゃべりが上手くできず、会話が成り立ちません。おむつはずれも苦労しました。
小学校入学にあたり、特別支援学級を勧めて頂きました。やはり、という思いと健常児に生んであげられなかった自分を責めて、娘に申し訳ない気持ちで言葉になりませんでした。
知らない場所や知らない人が苦手な娘は、入学式で自席に座れず、ただしくしく泣きながら私と2人、体育館の入り口で式が終わるのを見ていました。新しい環境に不安でたまらなかったのでしょう。私の手をぎゅっと強く握りしめるように繋いでいました。
そんな娘も特別支援学級の2年生になりました。満面の笑みで「パパ一緒に学校行こう!」が彼女の口癖です。登校班に夫が付き添う事で安心を得、学校に着くと担任の先生が笑顔で待っていて下さっています。担任の先生は“魔法使い”です。彼女を優しく包み込むような丁寧なご指導のお蔭様で、「出来ること」が明らかに増えてきました。いくら練習しても書けなかった平仮名が「書ける」ようになったり、学校生活の様子を自ら話してくれるようになったりしました。何より、学校生活を笑顔で過ごしています。
スローラーナーの娘は我が家の宝物です。もう1つの宝物、次女も年長になり「チーム」は4人となりました。チーム皆で娘を助け、時には娘に助けられながら、娘の成長を見守り続けます。我が家にきてくれて本当にありがとう。
息子と歩んだ日々
息子は2歳の時、未就学園児の会に通っていました。皆が玩具で遊ぶ中、息子だけが毎回泣き叫び、抱っこから離れませんでした。発語がなくこだわりも強く、一日中抱っこで過ごす日々。私の育て方が悪いのかとひどく落ち込みました。
3歳の時自閉症スペクトラムの診断を受けました。この時不思議とほっとしたのを覚えています。だから他の子と違うのかと。この日の診断が、これから息子と歩む日々の道しるべになった気がします。
息子は現在5年生です。支援学級と通常学級を行き来し、放課後等デイサービスにも通っています。支援学級も放デイも、希望すれば誰でも入れる訳ではありません。現に「私も行きたい。」という妹に「資格がないと行けないんだよ。」という息子。息子は希望のチケットを手にしました。支援学級の先生は、「心が落ち着かない時は、いつでもこの教室に戻っておいで。」と言ってくださいます。ありのままの自分でいられる場所がある…どれほど心強いでしょうか。息子の成長を、自分のことのように喜んでくださる先生方。たくさんの励ましと応援を、息子は全て吸収し力にしました。この10年間息子に寄り添い、力を注いでくださった全ての方に感謝しております。
どんな玩具よりも公園が大好きだった息子。雨の日も、高熱でも毎日朝から晩まで公園を走り回っていました。現在息子は学年で1、2位を争うほど足が速く、走ることに自信を持っています。「夢はオリンピックの選手。」公園で走り回った日々が、息子の夢に繋がりました。息子と歩んだ日々の中に、何一つ無駄なことはなかったと実感しています。
「大切なものは家族と命。」担任の先生に言ったそうです。今までの苦悩が吹き飛ぶほど嬉しかったです。不器用だけど優しい息子は家族の太陽です。成長していく息子をこれからも応援していきます。
違いを認める
息子は一昨日で12歳になりました。本当にあっという間の12年でした。
息子は私のお腹にいる時にエコー検査で単心室症という心疾患があることが分かり、5歳までに4回の手術をしました。根治のための手術ではなく、姑息的な手術なので、今後も定期的な検査が必要です。
2歳半になってもあまり言葉が増えないので市の福祉課や病院で診てもらい、幼稚園と並行で児童発達支援にも通いました。
心臓の病気だけでなく、発達の遅れもあることはとてもショックでした。市の乳幼児検診では同じ年齢の子と息子を比べたり、母娘手帳の発達チェックの出来る・出来ないの項目を見ては一喜一憂していました。
小学校にあがり、身長も体重も増え、一見普通の子と変わらないような息子ですが、手先が不器用でお箸や歯ブラシも上手に使えなかったり、相変わらずズボンは前後反対に着ていたりと、傍で見ていてもどかしい気持ちになります。また人の気持ちが理解出来ず、自分の気持ちを上手く伝えられないため、いつも1人で遊んでいて私から見るとそんな息子がとても不憫に感じられます。
一方、そんな私の気持ちをよそに、息子は毎日ひょうひょうと生きているように見えます。
考えると、息子が落ち込んでいるときは大抵、息子が出来ないことに私が怒っているときで、それ以外は穏やかに過ごしています。“私の息子に対する思いは、世間での普通や単なる私の価値観の押し付けなのでは?私の方こそ違いを認め、他と比べず、息子の気持ちに寄り添わなければならないのではないか?もっとおおらかな気持ちで子育てをしなくては!”と反省することが多いです。
来年は息子も中学生です。高校に進学できるのか?社会に出ることが出来るのか?私達親が死んだら、息子は生活出来るのか等々心配がつきません。息子が将来自立した生活を送れるよう、息子の気持ちに寄り添いながら今後もサポートしていこうと思います。